真実は入口に過ぎず

日々の氣づきを記録していくブログ

情報に振り回されない軸

9月の秋分の日前後から、世界が目まぐるしく変化していると感じる(体感的に)。

10月からは特にすごいことになってる。

10/1 東京証券取引所のシステムダウン
10/2 トランプ大統領コロナ陽性
10/5 トランプ大統領 退院
10/6 機密情報の開示


記事にしようにも、日々最新情報が流れ、追い切れず取り残されていく感覚。

情報に振り回されると、右往左往してしまうものだ。

 

地震が来るぞ
・富士山噴火するぞ
・食料危機になるぞ
・緊急放送が来るぞ
・ワクチン強制接種来るぞ
・株が暴落するぞ
・GESARA/NESARA来るぞ
・ローンがチャラになるぞ
 などなど

 

しかし、どの情報も出た瞬間、過去のものとなる。

あらゆる現象は起きた瞬間に過去のものとなり、
その過去のものが言語化されたり映像化されたりされたものが情報だ。

 

その情報に振り回されるということは、過去に振り回されるということ。

 

過去の情報が事実であれフェイクであれ、それによって感情が生まれ、
憎悪したり恐怖したり興奮したり幸せな気分になったりする。

感情が湧き出てしまうのは仕方がない。
湧き出てしまうものだから。

 

ただその感情を引きずってネガティブになると、邪悪な存在のエサになる。

 

ネガティブな感情の対処法・・・湧いてくる感情を否定せずただ見つめる

 

そして嬉しいポジティブな情報にも引きずられ、何かに「期待」してしまうと、
自分以外の「何か」に頼ってしまうことになる。

 

「〇〇が早く来ないかな!」
「〇〇が来ればすべて解決!」
「おいおい、〇〇来ねーじゃねーか、どうしてくれるんだ!」

 

ここでも「何か」によって振り回される。


やはり一番いいのは、真ん中、「ゼロ」ポイント。

 

ネガティブでもなく、ポジティブでもなく、ゼロの状態。

右派、左派でもなく、主義思想を持たないゼロ。

過去でも未来でもなく「今」という瞬間のゼロ。

 

ゼロこそ縄文パワーであり、無限フリーエネルギー。

 

 

ゼロ=神は絶対自由であり、変化しない。

それ以外は常に変化する。幻想。

 

神は外にあるのではなく、内にある。

心臓が勝手に動かされている。傷口は勝手に治る。生かされている。

変化しないものによって動かされている。

 

自分自身が神。一人一人が神。

 

神の数え方は「一柱ひとはしら」「二柱ふたはしら」。

 

みんなブレない柱の軸を持っているはず。

 

外の情報・変化からでは 自分の中の軸は思い出せない。

ゼロポイントである「今」にしか軸は存在しないから。

 

瞑想でゼロの状態になり、自分で思い出すのも一つの方法。

 

また「わの舞」のように、舞うことで宇宙の〈原型パターン〉と同化し、

思考ではない体感を通じて自然と感じられるものかもしれない。

 

様々な民族の舞踊の原点を探ってゆくと、中心に精霊や神々の降臨する中心軸(日本では「御柱」や「ひもろぎ」と言われた)を拝しながらそれを円形に取り巻いて旋回舞踊を行うという同一のパターンに行き当たるのは、人類自身の宇宙という「場」への感応からではなかったかと、そう思われてならないのである。

(中略)

円舞(輪舞)はなぜ我々に深い一体感をもたらし、

人としての本源的な心情を回復させるのか。

円舞を舞う時、我々は一つ一つの電子となる。

我々の本質はエネルギーである。

我々のエネルギーが輪をつくり、スピンする時、

我々は一個の小宇宙を形づくる。

それは決して小宇宙の模写ではない。

見えざるレベルで、我々は本物の一個の小宇宙を形づくり、

その一つ一つの電子となる。

深い一体感の本質はそこにあると、

私は実体験の上からもそう感じられてならないのである。

ダンス考 - わの舞 official site」より

わの舞とは

「人間は本来、小宇宙であり、完成された小宇宙は、
 大宇宙(この世界)と必ず調和します」



進化の最高レベルである人間に至ると、この神経系の中心軸は垂直ラインに位置するようになり、その神経系のみを見ると、植物の世界における進化の先端、すなわち、杉や檜のような植物の幹と枝のパターンとそっくりな形状を呈してくる。

ダンス考 - わの舞 official site」より

人体の神経系

Zygote Body