縄文スピリットと弥生スピリット
こちらの記事より引用させていただきます。
『縄文スピリット』
●群れない
●徒党を組まない
●主体性なく付和雷同しない
●組織を構築しない
●「所有」という概念がない
●土地の境界が無いだけでなく、精神(心)の境界も存在しない
●上下関係がない(適度な距離感と礼儀はあります)
●主従関係がない
●人懐っこい、お人好し
●まつろわない(服従しない)
●まつろわせない(服従させない)
●相手の立場を尊重する
●もっとも弱き者の心に寄り添う
●「ひとつ」である「宇宙」「ヤハウェ」と
「ひとつ」であるという「ひとつ」を無意識かつ自然に体現する
●偶像を崇拝しない
●求められてもいないのに、他者に干渉しない
●求めてもいない他者からの干渉を受けない
●「ハラ」(原=大自然)のしきたりに身を任せ、他者と適度な距離を保つ
●侵略をしない
●恩着せがましい余計なお世話や、ありがた迷惑な行動をしない
●異能を誇らない
●本能に忠実に生きる
●宇宙(己)の流れに沿う
これに対するのが、真逆の弥生スピリット。
こう言ってくる側だ。
「人生は一度きりだから、楽しまなきゃ損だぞ」
「刹那な毎日を送れ」
「おまえはひとりだ、寂しいひとりだ」
「人生の深い意義など考えるだけ無駄だぞ」
「来世なんか無いぞ、だからとにかく楽しめ」
「死ぬまで消費しろ」
「隣のヤツと自分を見比べろ」
「目先の損得だけで動け」
「神なんかいないぞ、どんどん堕落して楽しめ」
「死んだら損だぞ、長生きこそが最上の価値だ」
「人生の意味など無い、肉体の生き長らえにだけ傾注しろ」
「死ぬまでの間に勝ち組になることだけが美徳だ」
「来世などという不確実なものを考慮などするな!」
「堕落しろ!放蕩に耽(ふけ)ろ!」
(私の中の「666ヤハウェ」の浮上は「無知の知」と共に | 宇宙の中心で、愛を叫ぶ。)
「ソロモン王南ユダ2部族バビロン捕囚
ナチュラルスピリチュアル低層四次元
(五輪とコロナと幻想ホログラム(後編) | 宇宙の中心で、愛を叫ぶ。)
(日本オカルト・スピの源流と ヤハウェ「666」の刻印の秘密 | 宇宙の中心で、愛を叫ぶ。)
彼らは「徐福」であり「弥生」であり「農耕」であり
「神社」であり「景教」であり「仏教」であり、
「関東軍」であり「大本派生スピリチュアル」であり
「清和会」であり「日本会議」だ。
(As Above, So Below 上の如く、下も然り | 宇宙の中心で、愛を叫ぶ。)
澤野さんの伝える縄文側をまとめるとこんな感じか。
東北縄文日高見蝦夷アテルイモレ奥羽越列藩同盟古代ヘブライ北イスラエル王国10部族アラハバキ666ヤハウェ宇賀神瀬織津姫蛇身弥勒菩薩Redeemer
(声なき声を持っているが存在を消され封印された多数の魂)
弥生は
ノイジー・マイノリティ
(封印し侵略し声だけは大きい少数の支配者)
縄文スピリットの世界はすぐそこに。